1ヶ月7アクセスでもブログを書き続ける|定年後に見つけた私の居場所

60歳を過ぎて、今さらブログなんて遅いのではないか。

若い人がスマホひとつで発信している時代に、自分のような世代が何を書けばいいのか。

そう考えながらブログを立ち上げました。

でも、書き始めてみて気づいたことがあります。

ブログは、人とつながるための場所にもなるということです。

定年後、居場所を見失っていた私が、なぜ今も書き続けているのか。

その話をさせてください。

定年後、一日が長くなった

やることがない一日は、思っていたより長いものでした。

予定に追われていた頃には、想像もしなかったことです。

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朝ご飯を食べてぼんやりしていると、日が暮れる

海外を拠点にしていた頃は、毎日が予定で埋まっていました。

仕入れ先を回り、市場を歩き、人と会う。

時間が足りないと感じることの方が多かったように思います。

それが日本に戻り、腰を落ち着けると、今度は時間が余りました。

朝ご飯を食べて、ぼんやりとテレビを眺める。

ただそれだけで、気づけば外は暗くなっています。

昼間から一杯やって、そのまま夕方になっている日もありました。

あっという間のようで、その一日はやけに長い。

この時間をどう使えばいいのか、正直なところ持て余していました。

長く海外にいた分、連絡を取る相手も少なかった

帰国して困ったのは、時間だけではありませんでした。

長く海外にいた分、こちらの人間関係は薄くなっていたのです。

気軽に連絡を取れる相手も、そう多くはありません。

それは覚悟していたことでもありました。

でも、いざその静けさの中に置かれると、思っていたよりこたえるものです。

手持ち無沙汰なとき、私はよく海外で撮った写真を見返していました。

とりわけ多かったのは、インドの写真です。

日本の静けさの中でインドのエネルギーを思い出す。

ひしめく人と物、鳴りやまないクラクション、埃っぽい市場の雑踏。

あの混沌の中に、確かに自分がいた。

眺めていると、あの日々はもう二度と戻らないのだと、寂しくなります。

けれど不思議なもので、その寂しさの底から、別の気持ちも湧いてきました。

この景色を、誰かに話したい。

どこかに残しておきたい。

今思えば、それが書き始めの入口でした。

書き始めたら、誰かが読んでいた

誰にも読まれないだろう。そう思って書いていました。

ところが、そうではなかったのです。

数字でもコメントでもない、気配のようなもの

持て余した時間の末に、私はブログを書き始めました。

アジアの市場で値段を交渉した話。

言葉が通じない土地で宿を探した話。

自分にとっては当たり前だった出来事を、ただ書き留めていこうかと思っていたのです。

すると、少しずつ読んでくれる人が現れました。

派手な数字が出るわけでも、コメントが並ぶわけでもありません。

ただ、どこかに誰かがいる。

そういう気配のようなものを、確かに感じるようになりました。

それがインターネットの良さだと思う

顔も名前も知らない誰かが、自分の文章を読んでいる。

考えてみれば、不思議なことです。

会ったこともない人に、自分の見てきた景色が届いている。

これはインターネットならではの良さだと思います。

直接の知り合いでなくても、言葉は誰かのところへ届く。

その軽やかさに、私はずいぶん助けられました。

見知らぬ土地で、人とすれ違うように

その感覚は、旅の途中で経験したものに似ています。

ふと思い出したのは、イスタンブールでのことでした。

孤独が消えるわけではない。でも一人ではない

イスタンブールを歩いていた時のことです。

あの街では、英語はほとんど通じませんでした。

そんな中、酒屋の前で飲んでいた一人の男が、流暢な英語で話しかけてきたのです。

名前も素性も知りません。

それでも、なんとなく気が合って、二人で缶ビールを開けました。

その男が、ふとこう言ったのです。

酒は、人の顔を見て飲め、と。

誰と飲むか、誰の顔を見ながら飲むか。それがいちばん大事なのだと。

その言葉が、なぜか今も耳に残っています。

面白いことに、その後も彼とは通りで二度、ばったり出くわしました。

広い街で、約束もしていないのに、また会う。

何かしらの縁が、あったのでしょう。

ブログを通じて感じるつながりは、あの夜の一杯によく似ています。

それで孤独がすっかり消えるわけではありません。

でも、自分は一人きりではないと思える。

その小さな手応えが、思いのほか大きいのです。

会社でも家庭でもない、新しい居場所

会社を離れれば、そこにあった居場所はなくなります。

家庭とも、また少し違う。

どちらでもない場所が、自分の書いた文章の中に生まれるとは思っていませんでした。

読んでくれる人がいて、また書きたくなる。

書けば、誰かがまた読んでくれる。

その繰り返しの中に、いつの間にか新しい居場所ができていました。

だから、同じ世代の人へ

最後に、迷っている人に書いておきたいことがあります。

かつての私と同じように、迷っている人へ。

完璧な準備より、最初の一歩

始める前は、どうしても不安が先に立ちます。

私も、最初の一記事で何を書けばいいのか分からず、ずいぶん戸惑いました。

拙い文章を人目にさらすのは、正直に言えば恥ずかしいものです。

それでも、旅を思い出してみると、完璧に準備してから出発したことなど一度もありません。

地図も持たずに歩き出し、その場その場で道を探してきました。

ブログも、それと同じでした。

最初の一記事は、今読み返せば拙いものです。

それでも書いたから、次が書けたのです。

迷っているなら、始めてみればいい

正直に打ち明けると、開設から一か月近く経つのに、私のブログはまだ7アクセスほどです。

ほとんど誰にも読まれていない、と言っていい。

この広大なインターネットの海で、自分の乗る小さな舟を見つけてもらうのは、たやすいことではないのかもしれません。

それでも、きっと見つけてくれる人がいる。

あの日のイスタンブールで、名前も知らない男とまた出くわしたように。

私はそう信じて、今日も書いています。

準備が整うのを待っていたら、たぶん今も何も始まっていません。

居場所は、与えられるものではなく、自分で作るものなのでしょう。

そしてそれは、この年齢からでも遅くない。

迷っているなら、始めてみればいい。

その一歩の先に、あなたの居場所もきっとあります。

海を眺める年老いた男性
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