クラウドワークスで、継続していただいている案件があります。
その担当の方から、採用の経緯を聞く機会がありました。
言われたのは、こういうことでした。
他の応募者は全部AIみたいな文章だったから、不採用にした。
正直、驚きました。
私は自分の文章を、とりたてて上手いとは思っていません。
ライターを始めてまだ5ヶ月。実績も、他の応募者より少なかったはずです。
それでも選ばれたのには、理由があったのです。
AIを使えば簡単に稼げる。
そんな話をよく見かけますが、現場で起きていたのは逆のことでした。
この記事では、そのとき感じたことと、AIの文章に対して私がずっと抱いている違和感について書きます。
なぜ私が選ばれたのか
この一言が、ずっと引っかかっています。
採用の場で何が起きていたのか、聞いた範囲で書きます。
担当者から聞いた不採用の理由
その案件には、それなりの数の応募があったそうです。
提案文も、サンプル記事も、みんな整っていた。
誤字もなく、構成も破綻していない。
それなのに、担当の方は次々に落としていったといいます。
理由はひとつ。
どれも同じ顔をしていたから。
言葉づかいも、話の運びも、判で押したように似ていたそうです。
おそらく、AIに書かせたものをそのまま出していたのでしょう。
きれいに整っている。けれど、書いた人間の顔が見えない。
そこで落とされたわけです。
これは応募する側からすると、少し怖い話でもあります。
時間をかけて丁寧に仕上げたつもりでも、AIらしさが残っていれば読まれもしない。
整えることと、選ばれることは別だという事実を突きつけられました。
発注者は「人の気配」を見ている
このとき気づいたことがあります。
発注する側が見ているのは、文章の巧拙だけではないということ。
うまいかどうかより、この人が書いたと分かるかどうか。
そちらを重く見ている場合があるのです。
考えてみれば当然でしょう。
整った文章が欲しいだけなら、発注する必要はありません。
自分でAIに打ち込めば済む話です。
それでも人に頼むのは、その人にしか書けないものを求めているから。
私の文章が選ばれたのは、うまかったからではない。
下手なりに、人が書いた気配が残っていたからだと思っています。
言い回しの癖、話が少し脱線するところ、妙に力の入った一文。
本人としては直したい部分ですが、そこが人の証しになっていたのでしょう。
AIは感情の動きを読み取れない
ここからは、仕事とは別の場面での話になります。
私がAIに違和感を持つようになった、きっかけの出来事です。
旅のエッセイを読ませてみた
私はnoteに、旅のエッセイを書いています。
路地で見かけた人のこと、匂い、光の加減。
うまく言葉にならないものを、どうにか文字にしようとする作業です。
そのエッセイを、試しにAIに読ませてみたことがあります。
返ってきたのは、なめらかで丁寧な感想でした。
情景が浮かぶ、心に沁みる、余韻がある。
どれも褒め言葉ですが、読んでいて背中がむずがゆくなりました。
分かっていないのに、分かったふりをしている。
そう感じたのです。
エッセイや詩というのは、感情の動きそのものを書いています。
なぜここで言葉を切ったのか。なぜこの一行だけ短いのか。
その理由は、書いた本人の感情の中にしかありません。
そこが読み取れていない相手に、心に沁みると言われても響かない。
むしろ、白々しく聞こえてしまいます。
一度、こんなこともありました。
自分でも書きあぐねて、何度も直した箇所があったのです。
そこを指して、AIは迷いなく美しい表現だと評しました。
迷った痕跡が、まるで見えていない。
このとき私は、この相手には感情の起伏が届いていないのだと確信しました。
分からないことを、分かったふりで語り続ける
私がAIに感じるのは、この一点に尽きます。
分からないことを、分からないと言わない。
その代わり、それらしい言葉を延々と並べ続ける。
この感じを、私は「ぬるっとしている」と言っています。
どこにも角がなく、掴みどころがない。
反論もしなければ、黙りもしない。
ただ、なめらかに続いていく。
それが気持ち悪いのです。
人間なら、分からないときは黙ります。
あるいは、分からないと言う。
その沈黙にこそ、誠実さが出ます。
延々と続く滑らかな言葉は、丁寧なようでいて、実は何も引き受けていません。
そこに信用が置けないのだと思います。
仕事を頼む側も、同じものを感じているのではないでしょうか。
文章のうまさより先に、この人は引き受けているかどうか。
そこを見られている気がします。
AIの文章に感じる3つの違和感
私は毎日のようにAIを使っています。
だからこそ、繰り返し引っかかる点があります。
ここでは3つに絞って挙げます。
①分かったふりで書く
これが最も大きい。
知らないことでも、それらしく書いてしまいます。
読む側からすると、どこまでが確かでどこからが推測なのか分かりません。
書き手が引き受けていない文章は、読んでいて足元が定まらないのです。
人が書いた文章なら、自信のない箇所は語尾が濁ります。
その濁りが、かえって誠実さになる。
②言い切らず、延々と続く
結論を言い切らないまま、言葉だけが増えていきます。
一方でこうも言える、という留保が何度も挟まる。
親切なようでいて、読み終えても何も残りません。
書き手が立ち位置を決めていないからです。
どちらとも取れる書き方は、誰も傷つけない代わりに誰にも届きません。
③失敗も迷いも書かれていない
これが一番の違いかもしれません。
AIの文章には、しくじった話が出てきません。
迷った跡も、恥をかいた記憶も残っていない。
けれど読者が知りたいのは、たいていそこなのです。
うまくいった話より、つまずいた話のほうが役に立ちます。
100件応募して落ち続けた記憶も、出品したのに一件も売れなかった経験も、私には残っています。
そういう手触りのあるものだけが、読む人の役に立つのだと思います。
それでも私はAIを使っている
ここまで散々書いてきましたが、私はAIを否定していません。
むしろ毎日使っています。要は、どこで線を引くかです。
構成と下調べには使う
記事の構成を組むとき、下調べで情報を集めるとき。
その用途では、これほど便利な道具はありません。
調べ物にかかっていた時間が、はっきり短くなりました。
見出しの並びに迷ったとき、案を出させて眺めるだけでも頭が整理されます。
道具として割り切れば、これほど心強いものはないでしょう。
本文は自分で書く
けれど、本文は自分で書きます。
下書きも任せません。
一度試したことはありますが、直す手間のほうが大きくなりました。
出てきた文章は整っているのに、自分の言葉ではない。
それを自分の文体に直していくくらいなら、最初から書いたほうが早いのです。
それに、直しながら書いた文章は、どこか他人事の匂いが残ります。
読む人には、その匂いが伝わってしまう気がしています。
AIは道具であって、書き手ではない
効率や数字を重んじる仕事なら、AIは相性のいい道具でしょう。
速いし、疲れないし、文句も言いません。
ただ、感情を扱う文章は別だと思っています。
人の心が動いた瞬間を書くとき、その動きを知らない相手には代われません。
逆に言えば、数字や効率を重んじる人にとっては、これ以上ない相棒でしょう。
要は、何を任せて何を任せないかという線引きの問題です。
60代から書く仕事を始めた私にとって、経験だけが持ち物です。
働いてきた年数、旅をしてきた時間、失敗した記憶。
それは、どんなに優秀な道具も持っていないものです。
AIに書かせて楽をするより、下手でも自分の言葉で書く。
遠回りに見えて、たぶんそれが一番の近道です。
少なくとも私は、その道を選んだから今の案件をいただけました。